「深夜喫茶の記憶」

「深夜喫茶の記憶」

ブギが流れる深夜のリビング。

窓の外は月も恥ずかしがって雲に隠れていた。時計の針は午前2時を少し過ぎている。こんな時間に眠れずにいるのは、昔からの癖みたいなものだ。

私は静かにキッチンへ向かい、戸棚からお気に入りの紅茶缶を取り出した。

ASHBYSのアップルティー

これを飲むと、あの頃の夜がよみがえる。

若い頃、父と母が営んでいた小さな喫茶店があった。場所はもう記憶の中にしか残っていないが、あの店には不思議な魔法があった。夜中、常連のおじさんたちがぼそぼそと語る話に耳を傾けながら、カウンター越しに紅茶を淹れる母の姿を、私は今でもはっきりと思い出せる。

私はピーピーケトルに水を注ぎ、火を点ける。

昔ながらの音が響き始めると、時の感覚が少しずつぼやけていく。

ポットに茶葉を入れ、そこにちょうどよい温度のお湯を注ぐ。

ポコポコポコ……

それは、心の奥のノスタルジアを呼び覚ます音だ。

カウンターの隅に置かれていた、母の大切な道具のひとつ――

それがASHBYSの砂時計だった。陶磁器でできた外側には、細やかな装飾が施されていて、まるでヴィクトリア時代のアンティークのよう。母はよく言っていた。「この砂が落ちる間だけは、何も考えず、ただ紅茶と向き合うのがいいのよ」と。

私はその砂時計をそっと逆さにする。

さらさら……

柔らかく、静かに落ちていく砂は、過ぎ去った時間と、取り戻せない何かを象徴しているようだった。

思えば、母が亡くなる数年前、私たちはあの店を閉めた。

老朽化した建物と、父の体調。

母はそれでも、最後の日まで、丁寧に紅茶を淹れ、砂時計をひっくり返していた。

その姿が、今でも心に焼きついている。

私はカップに紅茶を注ぎ、椅子に腰掛ける。

リンゴの甘い香りと、わずかな渋みが混じり合って、まるで母のやさしさそのものだ。

あの喫茶店には名前がなかった。

看板すらなかったけれど、いつの間にか「深夜喫茶」と呼ばれていた。

夜の街を歩く誰かが、ふと立ち寄るための小さな灯り。

紅茶の香りと砂の音、それだけが店の全てだった。

いつか、自分でもまたあんな店を開けるだろうか。

いや、たぶんもうそんな時代じゃない。

でも、こうして一人で紅茶を淹れ、思い出を辿るだけで、少しだけ、あの店は生き返る。

ASHBYSのアップルティーは、そんな記憶の扉を静かに開いてくれる。

陶磁器の砂時計は、その時間に寄り添ってくれる。

誰にも見せることのない夜、

私は今日も、ひとり、昭和の記憶を味わっている。

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この記事を書いた人

KANAMARUのアバター KANAMARU 紅茶マイスター

紅茶に携わって30年以上です。喫茶店経営やパン屋、スペイン料理レストラン、病院厨房などに携わってきました。30年もの間、スリランカやインド、台湾、中国、インドネシア、ブラジル、ヨーロッパなどを駆け巡り紅茶だけでなくコーヒーを見て回りました。また、陶磁器も好きなのでノリタケ、ナルミだけでなく瀬戸や有田などにも足を運んでいます。

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